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女将の内緒話20 紫雲荘の昔の話 その参

祖父と祖母が売店をしていたことは前回お話しましたが、祖父が早くに亡くなり、父がタクシーの会社に就職したこと機に家を貸して、サラリーマン家庭となったわけです。

父はタクシー会社の後に、現在の田母沢御用邸で事務の仕事をしていました。その頃は日光市内の下鉢石(市役所の近くです)に住んでいて、小さい頃は近所を駆け回っていましたので、日光の町中は裏通りまで良く知っているのです。

同じ頃、湯元の家はどうなっていたのかと言いますと、関根さんというご夫婦が郵政厚生会(現在のNTTと郵便局です)の寮をしていました。この頃からご利用いただいているお客様もいらっしゃって、私よりも紫雲荘の歴史に詳しいとても有難いお客様です。

私が小学生になった頃、父が脱サラをして旅館を始めようという話が持ち上がりました。

関根さんもご高齢だったので、その後を続けて営業するということだったようです。祖母も湯元に帰ることを楽しみにしていましたが、旅館を始める半年前に亡くなりました。お財布にはいつも祖父の写真が大切にしまってありましたので、二人の思い出の場所に戻れなかったのはとても残念でした。

私が小学二年生で奥日光に引っ越しましたが、初めての旅館業は父と母にとって大変なことが多かったと思います。家族で大騒ぎをしながら営業しているうちに、とうとう旅館業を初めて32年目になりました。これもひとえに御贔屓いただいているお客様のお陰と、心から感謝しております。これから紫雲荘がどの様になりますかお楽しみということで、昔の話はこれにて一件落着です。

昔の紫雲荘

昔の紫雲荘

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